最近、新聞・雑誌等で「檀家の減少により苦境に立つ寺が増えた」という記事を良く目にします。コロナばかりに目を奪われがちですが、生き残りをかけ変わろうとしてい寺の挑戦を見ると、寺までもがと思えてなりません。
識者は「寺は地域の社会資源としての歴史があり、改めてその役割を発揮できるかどうかが問われている」と語っています。400年の歴史を持つ名刹として知られる東京都の築地本願寺。
境内にはカフェがあり、更に看板メニューのインスタ映えすると評判の「18品の朝ごはん」があります。そして書店が入る施設までできました。
過去の宗派をを問わない合同墓もあります。僧侶による相続など「終活」に関する専門家紹介といったサービスまで提供しています。
一連の改革に内外から苦言や反発もあったが、部下の僧侶をビジネス講座に通わせるなどして組織風土を変えていったという寺トップの言。時代に合わせた課題を解決する存在が目標とも言われています。
地元鳥取でも似たような取り組みをされている寺があります。ある調査では、「特定の寺の檀家」と答えたのは29%。「檀家でない」54%が大きく上回っています。
決して、ご先祖様をないがしろにするわけではありませんが、寺とのかかわり、あるいは葬儀等が、死者儀礼中心ではなく、生きている者の生き方そのものになっていると感じます。寺事に限らず、子供の代に何らかのことを先送り(残す)したくないという考えは、ますます強くなります。
終活も自分のしたいようにすれば良いです。自分の子孫のことを思わない先祖はいないと私は思います。